沿 革 と 主 旨 |
発 足 か ら 65 年 2000年に50周年を迎えた日本聖書学研究所の発足の経緯について、深津文雄は次のように回顧している。 とにかく ……(略)、教会、無教会をこえ、新旧約をあわせて、若い世代で結束しよう、ということになり、1950年3月10日、ぼくの家へ集まった。会するもの - 年の順でいうと - 小塩力、小池辰雄、深津文雄、関根正雄、鈴木正久、中沢洽樹、山岡喜久男、高崎毅、新見宏の九名。名づけて「日本聖書学研究所」という。毎月三回集まって、こころ足ろう語らいを共にすることになった」(深津文雄『いと小さく貧しき者に ―― コロニーへの道』日本基督教団出版局 1969年)。 こうして、1950年4月、日本聖書学研究所は発足した。発足の場所は深津文雄が牧師を務めていた上富坂教会であった。深津が上富坂教会の牧師を辞した1954年、研究所は上富坂教会から四谷の小田切 (信男) 医院の一室に移ったが、その後も、種々の事情により、またそのたび毎に各方面からのご理解を得て、青山学院大学、ロゴス診療所 (調布市)、ルーテル神学大学、日本聖書協会 (銀座) と場所を替え、1988年9月からは、研究所発足の地でもある富坂キリスト教センター内に部屋をかまえた。その後、富坂キリスト教センターの組織再編もあり、2009年度からは目白の日本聖書神学校の教室を借りて、例会、公開講演会を開催してきている。 それに伴い、研究所が所蔵していた図書・雑誌は日本聖書神学校の図書館に順次、移管した。 発足時から現在まで研究所の責任を負った方々は次のとおり。 |
所長 小塩 力 (1950~1958年度) | 主事 深津文雄 (1950~1954年度) |
主事 中沢洽樹 (1954~1958年度) | |
主事 関根正雄 (1958~1987年度) | 副主事 田島信之 (1962~1964年度) |
副主事 八木誠一 (1965~1980年度) | |
副主事 荒井 献 (1981~1987年度) | |
主事 荒井 献 (1988~1995年度) | 副主事 木田献一 (1988~1994年度) |
主事 木田献一 (1995年度) | 副主事 小河 陽 (1995年度) |
所長 木田献一 (1996~1997年度) | 副所長 小河 陽 (1996~1997年度) |
所長 大貫 隆 (1998~2008年度) | 副所長 月本昭男 (1998~2008年度) |
所長代行 佐藤 研 (2009年度) | 副所長 月本昭男 (2009年度) |
所長 月本昭男 (2010~2011年度) | 副所長 佐藤 研 (2009~2011年度) |
所長 佐藤 研 (2012~2013年度) | 副所長 月本昭男 (2012年度) |
所長 廣石 望 (2014年度) | 副所長 月本昭男 (2014年度) |
所長 廣石 望 (2016年度) | 副所長 月本昭男 (2016年度) |
この一覧からもわかるように、過去50年のうち、じつに30年間にわたって関根正雄が主事 (実質的には所長) として研究所を指導した。1997年度からはふたたび所長体制に戻り、現在、廣石望が所長をつとめる。9名で発足した本研究所は半世紀を経た現在、所員・会員を合わせて140名余を擁する。 月 々 の 例 会 本研究所の主たる目的は、その規約の冒頭にもあるように、「教派を越えて旧・新約聖書に関する学術的な 研究を行う」ことである。具体的には、発足当初から、所員・会員による研究発表と討議からなる月々の例会がその中心的役割を担ってきた。カトリックの立場に立つ研究者も、プロテスタント諸教派の研究者も、またキリスト教信仰に批判的な研究者でさえも、聖書の原典とその解釈史という同一の土俵に立ち、教派を越えて議論をする。すでに名をなした聖書学者も駆け出しの研究者の批判に耳を傾ける。旧約学徒は新約学に教えられ、新約学徒は旧約学に学ぶのである。本研究所に伝統があるとすれば、それは相互批判である。学問に聖域を設けず、特定の学問的立場を権威化せず、自由な相互批判を通して、聖書の今日的理解を目指すのである。 研 究 所 の 事 業 月々の例会の他に、本研究所は、大きく分けて三つの事業を果たしてきた。 第一は公開の学術講座の開催。記録に依れば、草創期には公開の聖書学講座を開催していた。例えば1953年の11月から12月にかけて、毎土曜日午後2時半から信濃町教会において前田護郎、深津文雄、佐藤敏夫、関根正雄、小塩力の各氏による連続講座が行われている。後には、学術講座は年に一度の公開講演会となった。旧約学と新約学の分野からそれぞれ一人の講演者がたてられていたが、1999年度、2000年度は、公開講座の形式を公開シンポジウムとした。2001年度からは再び、公開講演会の形式に戻っている。会場は、日本聖書神学校をお借りする。 第二は学術雑誌の刊行。1962年から原則として年毎に『聖書学論集』が発行されている。この論集には前年の例会における発表と討議をもとにした旧新約学関係の論文が収録される。第1巻~第15巻 (1980年) までは各巻に共通主題 (1巻『聖書と救済史』、2巻『史的イエスの問題』など) が付された。第16巻以後はとくに主題は付されていない。また、1975年からは、日本の聖書学の研究成果を世界に発信すべく、欧文紀要 Annual of the Japanese Biblical Institute (AJBI) を毎年発行している。それによって、本研究所は国際的にも認知されることになった。 第三に、研究所は所員・会員の協力のもと、各種の翻訳事業に携わった。研究所が関わった代表的な翻訳出版物として、死海文書の翻訳『死海文書』(山本書店、初版1963年)、旧新約聖書の敷衍訳『聖書の世界』(全10巻、講談社、1970~1974年)、外典・偽典の翻訳『聖書外典偽典』(全7巻と補遺2巻、教文館、1975~1982年) などがあげられる。これらのうち『死海文書』と『聖書外典偽典』は、聖書研究のための基本資料を提供したばかりでなく、それ自体が各方面から関心をもって迎えられたのである。 本研究所のこうした活動と事業は、今後とも、継承されてゆくであろう。しかし、それと同時に、21世紀を迎えた東アジアに位置する日本において聖書を学問的に探究することの意味と課題を自らに問い返してゆかねばならない。聖書学は欧米圏で発達した学問であるために、日本においても、欧米の学説の受け売りという面が強かった。21世紀は、欧米の聖書学に学びつつも、東アジアに視点を据えた聖書研究が模索されてゆかねばならないだろう。1990年代に富坂キリスト教センターと共催で開催された日韓神学者交流会は途切れてしまったが、東アジアの国々の聖書学者との交流・連係はさらに追求されてよいだろう。 |
(文責:日本聖書学研究所副所長 月本 昭男) 2015年1月 |